竹炭づくり&土地の歴史発掘

 





 うちの裏の栗の木がスゴイ。高さ10m以上?大人が4.5人でやっと囲めそうな。立ち枯れた姿が岡本太郎氏の偉大なるあの塔みたい。近寄ると、間違いなくそこに宿る精霊込みでの圧倒的存在感に、ただただ立ちすくんでしまう。その木の足元には小さな祠が置いてあるので、もともとの地主さんたちも「ここ」と決めて神宿る場所と大切にしてきたのだろう。にしても、そのすぐ後ろは竹林なので整備が大変。竹がすぐにこちらに迫ってきて栗の木の周りに生い茂る。のみならず、洞になった木内部に竹がはびこればあっというまに古木まるごと破壊してしまう。意思を持って守らなければという場所の筆頭。前住民の方も、この栗の木周りの整備にはご苦労をされてきたと聞く。竹は本当にこわいのだ。タケノコせっせと食べてるくらいじゃ間に合わない。


 今回、裸足の金子潤先生(※1)から、「裏山を裸足で歩いて楽しい場所にしていこう企画」の一環として、今集まってできる何かをとご提案いただき、まっさきに上がったのがここ。せっかくだから伐採だけではなく「竹炭」をつくる企画として、夫が声掛け。まずは「ヒマラヤよりウラヤマ」LINEグループでいつもの裸足メンバーをお誘いした。「前から興味があった!」「たのしそう」等々反応をいただき沸き立つ。


 「けっきょく何人くらい来てくれるの?」「…わからない」、でフタを開けてみるとなんと子供も入れのべ20人という大人数が、雨予報にもかかわらず朝から集まってくれた。午前中は晴れ間も見え気温も上がる。栗の木の竹林から母屋までは、広大な茅原斜面が広がっており、秋に夫が苅りたおしたススキを少しずつ冬仕事で野焼きした。その斜面を、子らが走る。今年は多く降った雪がこの晴れ間に盛大に溶けていき、おそろしいほどぬかるむそのなかを、子らが走る。そして転ぶ。主にお母さんはムンクの叫び的心持ち。最終的には自由に転べと若干の遠い目。


 大人のほうの(?)作業は、前日に10歳の息子と夫が二人で、ステンレス板の切り出しからはじめて準備しておいた「竹炭作り器(正式名称:無煙炭化器。直径1mくらい)」への火入れから始まる。その中に次々切り出した竹を、まずハンマーで叩いてから入れていく。この叩き作業によって竹が爆ぜるのを防ぐそう。それをひたすらくりかえし、竹を燃やしついには炭にしていく。







 昼ごはんは火を見守りながらその近くで、ということになりブルーシートを敷き詰める。なんの祭り?という様相。大人には粕汁、こどもは豚汁。我が家の準備は、あとは米を炊いただけ。にもかかわらずの大ごちそうは、みなさまからのお持ち寄り。ありがたい。即席で作成した竹皿と竹コップ、そして竹箸でいただく。




 午後は雪もちらつく。栗の木まわりの腐竹が積み重なった一帯に、切り込み隊長(裸足先生)がメスを入れる。「これをどかしてみよう」。大人の膝以上はあろうかという深さの何層もの竹竹竹…を取り除くこと数十分、隊長がある発見をする。高さ30センチ横1メートルほどのすっかり埋もれていた石積み。こ、これは。前述の、栗の木の足元に置いてあった祠を持ってきて置いてみるとしっくりくる。


 私はこの時点で現場に来て、経緯を聞きその姿を望む。ほんとだ、すごいしっくりきてる。えええー、である。本来の神の鎮座ましましていた場所は栗の木の手前、ここであったのか。さらに裸足先生の推論はすすむ。竹林の奥からあそこを蛇行してここへこう流れる水脈があったのでは。(今は細いけものみちのようになっており、確かに他とくらべるとじめっとした土)そして、この石積みの手前のこの(腐竹が層を成していた)場所は、池であった可能性もあるのではないか、と。現にここを掘り起こし不要物をとりのぞいたのち、その水の流れ(の可能性のある道筋)に沿って、風が起きている、と言うではないか。うわ、おもしろい。これはもう、ウラヤマ版アースダイバーである。龍神さまカミンバック。




 「お供えしてご挨拶してあげてください。」と先生。昼から来てくれた伝説の庭師H氏も黙々とプロの手技で伐採、腐竹をさらに土に戻すための場所づくり等々すすめてくださり、けっきょくみんなで夕方薄暗くなるまで。その場のみんなのしごとぶりが、それぞれほれぼれ、平たく言うとかっこいい。今回新たに見つかった石積み、そして竹が切り倒され開けていくこの空間、のなかでのそんな人々の姿。涙が出そう。ああ、こうやって私たちも、この土地の歴史の一コマになっていく。今日はそのひとつの、大事な楔のような一日だ。関わってくださった一人ひとりがうれしくて得難くて、震える。


 午前は勇猛に竹を切りまくってくれていた女性陣と高学年及び中学生が協力して、午後は竹炭づくりの横にてバームクーヘンづくり。切った竹に少しずつタネをつけてまわし続けながら焼いていく作戦(こちらもれっきとした今回の竹関連メインイベント!)なのだが、こっちもなかなか大変!良いおやつをありがとう。





 そしてこれが、出来上がった竹炭と伐採後の栗の木まわり!辺りの気の巡りがなんともさわやか。この風を絶やさぬよう。ここはやっぱり、この土地の「へそ」だったのだな。






 みなさま、本当にありがとうございました。また楽しいこといたしましょう。今後とも我ら家族とこの場所とよろしくお願いいたします。


 こんな感じで少しずつ、妻から見た夫の(裸足含めた)活動、土地のこと等、備忘録かねて書いていきたいと思います。まずは、夫と長男による祠づくり、かな。たのしみたのしみ。


※1:金子潤さん。清里在住、裸足のエキスパート。中川村でも「たろう屋」さんでワークショップを開催されています。

※Kちゃん、Hさん、Rちゃん、写真ありがとうございました!


コメント

  1. こんにちは。行動力がありますね。
    私は割り込みも入れないで、バンバン竹を破裂させながら(通報されるかと冷や冷やしてましたが)盛大に燃やし、その傍にキャンプ用のコットで寝ていました。
    火が消えるまで離れられませんから。

    あの栗の木は、家主様が子供の頃にはすでに枯れていたそうなので、枯死してからすでに半世紀以上は経っているかと思われます。

    小さな祠は枝の落下で破損するのを避けるために移動したもので、ご推察のとおり、元々は石組みの上に安置されていました。

    水路か...
    聞いたところでは竹を絶やそうとして重機で地下茎の脈を分断するために掘り下げた跡だとか。

    定期的に地面で直に野焼きして、土壌ごと竹や雑草の侵入を防いでいました。

    人為と野生の入り混じる所が里山で、そのせめぎあいの元に豊かな暮らしがありますが、その中で暮らすのはなかなかに労力が要りますね。

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